2018.02.20
2月20日 見えるもの 見えないもの 

日本を代表する彫刻家・佐藤忠良(ちゅうりょう)さんが、40年前に小学校1年生用の図工の教科書に寄せたメッセージ。

 

~この ほんを よむ ひとへ~

ずがこうさくの じかんは、

じょうずに えを かいたり

じょうずに ものを つくったり する

ことが、めあてでは ありません。

 

きみの めで みた ことや、

きみの あたまで かんがえた ことを、

きみの てで

かいたり つくったり しなさい。

こころを こめて

つくって いく あいだに

 

しぜんが どんなに すばらしいか、

どんな ひとに なるのが たいせつか、

と いう ことが わかって

くるでしょう。

これが めあてです。

(出典:小学校図工科「子どもの美術1」現代美術社 初版 1980年)

 

この文章を教えていただいたのは、シンガーソングライターの松本佳奈さん

 

 

松本佳奈 詞・曲『パラダイムシフト』より

 

佐藤氏の言葉に「まさにこれだ!と思いました」と佳奈さん。

書道も芸術の一分野ですが、文字はコミュニケーションツールでもあり他と少し異なります。

しかし、心を込めて伝えるということは同じ。子供達にこれからものびのび書かせたいと非常に共感しました。

 

 

 

 

誰でも見覚えがあるであろうベストセラー絵本『おおきなかぶ』(福音館書店版)の温かく躍動感のある挿絵も佐藤氏によるもの。

私も大好きで何度繰り返し読んだかわかりません。

 

 

 

 

人は、あたまと 手と、かんじる こころで、ものを つくります。

しんけんに つくると、かんじる こころが するどく なります。

(「子どもの美術2」巻末の言葉)

 

 

左:『木《こどものとも傑作集》』右:『小さな町の風景』共に佐藤忠良画

 

先週土曜日は、文筆家稲垣麻由美さんのお誘いで青山へ、『禅』の観点から「手のつく日本語」についての心に響くお話を伺いました。

 

 

 

 

『手』は第二の心であるから、言葉に『手』がつくと心がこもる。

例えば、「紙」もそれだけでは一枚の紙片であるが、「手紙」になると何かをどうしても伝えたいことに変わります。

「料理」も、「手料理」と言われるとなんだかありがたいし、「作る」が「手作り」ならなおのこと嬉しく感じます。

「手当て」や「手書き」もそうですね。

 

 

 

 

 

絵やものを見て、すばらしいと感じられるのは、感じる心が開いているからです。

どこがすばらしいかわかるのは、前にいく度も失敗しながら、絵をかき、ものを作ったことがあるからです。

絵がどんなふうにかかれたか、ものがどんなふうに作られたかがわかると、作品のほんとうのよさがわかります。

(「子どもの美術5」巻末の言葉)

 

ものには、見えるものと、見えないものがあります。

人は、目に見えるものをかいたり作ったりしながら、実は、やさしさとか真実とかといった、目には見えないものを表そうとしました。

見えるものを通して、見えないものを表現したかったのです。

(「子どもの美術6」巻末の言葉)

 

 

夕暮れ時のお台場海浜公園

 

20代前半、山口でお勤めしていた頃にお世話になった上司Sさんの優しくユーモラスなイラストが届きました。

 

 

photo by Yasunori Shirota

 

Sさんは数年前ご定年を迎えられ、農園や音楽や絵画など一層充実した日々を送りながら、時折り美しい写真やほのぼのとした絵を送って下さいます。

ブログも目を通し書道展にもご夫婦で足を運んで下さり、先日は心強い励ましのメールをいただいて胸が熱くなりました。

 

まあ、先輩なんてものは後輩が新しいことをやると何かと文句をつけたがるものです。

先輩の言うとおりにしていて、新しい試みをしないと衰退して行くだけだと思います。

ですから大いに新しいことにチャレンジしてみて下さい。

 

佐藤氏の深い言葉を身を持って示し行き先を照らして下さるSさん、いつも本当にありがとうございます。

創作活動をするにあたって、人にどんなふうに思われるかではなく初心を忘れず、自由に人間らしく生きていくための努力をこれからも重ねていきたいと思います。

 

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